NEXT
このたび、4月18日より開幕する「瀬戸内国際芸術祭2025」春会期《SAY YES》に参加することとなりました。私は瀬戸内海に浮かぶ小さな島、瀬居島にて、《NEXT》を発表いたします。

瀬居島は、かつて四方を海に囲まれていました。
1968年、番の州臨海工業団地の造成によって四国と陸続きとなり、やがて本州とも道がつながったことで、人と物と記憶の流れが変わり、風景そのものも静かにその姿を変えてきました。

本作では、北浦から広がる今の風景の中に、かつてのまなざしや暮らしの痕跡がそっと重なるような場所に、実在の人物をモデルとした彫刻を設置します。
かつて海に隔てられていた場所が地続きになったとき、そこには「切断」と「連続」が同時に生まれたのかもしれません。その揺らぎの中に、風景と時間、そして人の存在が交差する場を立ち上げたいと考えています。

《NEXT》は、2020年、高松市美術館で開催された
-高松コンテンポラリーアート・アニュアル vol.09「時どきどき想像」- にて初めて発表しました。あの年、世界が静かに停止し、未来が遠くぼやけて見えた日々のなかで、ひとりの若者をモデルに、未来を見つめる人物像としてこの作品は生まれました。

あれから数年を経て、再びこの彫刻は、海をわたり、瀬居島の地に立ちます。その姿が、この島の記憶や風の流れと交わりながら、「これから」に向けたまなざしを、訪れる誰かとともに見つめられたらと願っています。


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I am pleased to announce that I will be participating in the Setouchi Triennale 2025 – Spring Session, which opens on April 18.

I will present a work titled “NEXT” on Sei Island, a small island floating in the Seto Inland Sea. Sei Island was once completely surrounded by the sea. In 1968, it became connected to Shikoku through the development of the Bannosu Coastal Industrial Zone, and later, with the completion of land routes to Honshu, the flow of people, goods, and memories began to shift. The landscape itself, too, gradually transformed—quietly, subtly.
In this work, a figurative sculpture based on a real person is installed in a place where the view from Kitaura allows the present landscape to gently overlap with traces of past gazes and lives. When a place once separated by the sea becomes connected to the land, perhaps both disconnection and continuity are born at the same time. It is within this delicate tension that I hope to create a space
where landscape, time, and human presence quietly intersect.

“NEXT” was first exhibited in 2020 at the "Takamatsu Contemporary Art Annual vol.09 Imagine the presence of “Time” - leads us to the new views" at Takamatsu Art Museum.
That year, the world came to a standstill, and the future appeared distant and blurred. This sculpture, portraying a young person looking toward what lies ahead, was born in that moment of uncertainty.
Now, several years later, the same figure crosses the sea once more to stand upon the land of Sei Island.
I hope that its presence, quietly mingling with the memories and winds of the island, might invite those who encounter it to share in a gaze toward what comes next.
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瀬居島プロジェクト
「SAY YES」
瀬居を初めて訪れたのは、展覧会の始まるちょうど一年くらい前の春だった。特に何かを思いつこうとしたわけでもないけど、旧瀬居小学校、旧瀬居中学校・・・と視察にまわっているうちに、90年代の流行りドラマの主題歌がぼんやりと頭の中で流れていた。
どんな内容の歌詞だったかあまり思い出せなかったけど、歌い出しが「余計なものなどないよね」と始まるのだけは妙に覚えていた。昨今話題に上がる、生活の中で余計なものを極力削ぎ落としたミニマリストなんて言葉を思い浮かべ、芸術の中でも余計なものを極力削ぎ落としたミニマルアートという分野があるわけだけど、瀬居に向かう真っ直ぐな道、並走する瀬戸大橋に連なる高速道路の巨大な橋脚の連続する風景、大きな幾何学形態の建ち並ぶ工業地帯、ある意味ではミニマルアートの楽園のような景色を抜けた先に旧瀬居島/瀬居町がある。
50年以上前の埋め立てにより、四国と地続きになり、それまで船でしか島外に行き来できなかった場所が、車で、なんなら自転車や徒歩でも行き来できるようになり、1988年には瀬戸大橋が開通し、瀬居から本州まで気軽に車で行けるようになった。昭和以降の瀬居の状況をちょっと耳にしただけでもたくさんの紆余曲折を経て、余計なものもいっぱい背負って今のこの場所がある。ここでは工業地帯と島の景色とが隣り合い、融け合い、奇妙なキメラのような風景が浮かんでいる。いや、余計なものなどないのだ、島を背に、海越しの瀬戸大橋や工場群を照らすタ
陽を見たときにそう思った。ここで暮らす人たちの顔も、祭りの鐘の音も、土産にもらった切り干し大根も、そのままのもので、回り道をしての、これでしかない瀬居の姿なんだと思った。
タイトルの言葉は、肯定を促す少し強い響きにも聞こえるが、ドラマの中ではたしか振り絞った告白が通じてほしいという、願いであり、祈りのような愛の言葉だった。余計なものなどない。そのままの瀬居の姿に「SAY YES」と誰かが呟いた。
中﨑透
NEXT
2020-
Painting on Poplar